詩/詞 「幻想少女絵巻」

1.
琥珀色の風に抱かれ
堕ち逝く季節に見えるは虚空

幾年幾日 時を越え
織り成す∞に重ねる呼吸

今宵 羽無し天使は森を駆け
乱れ咲く白薔薇に声を捧げる

透ける肌の少年を
経血で穢すのを止めないで
月に踊れ アリスたち
その優しき惨酷が物語になる日まで


2.
茜色の海に溺れ
過ぎゆく奇蹟に忘れた鼓動

幾千幾万 星を数え
溢れる無形の逢瀬悠久

夜毎 夢無き天使は月に舞い
泡沫の黒蝶に恋を預ける

透ける肌の少年へ
接吻の刺青は止まないで
砕け詠え アリスたち
その儚き背徳が永遠になる日まで


Interlude
(壮麗ナ堕落ノ門ヲ
 潜リ抜ケ舞踏場ヘト進ミ出デ
 戯レル指先ヲ解イテ
 深紅ニ染マル頬ヲ放チ
 狂オシイ甘美ノ時ヘ)


3.
透ける肌の少年を
欲望し欲情し離さないで
愛に踊れ アリスたち
その吐息の牢獄を祝福できる日まで

透ける肌の少年と
恍惚と絶頂に果てないで
哀に溺れ アリスたち
その閉ざせし間隙が聖杯となる日まで

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渋谷スクランブル

人一人殺してやりたいと
朦朧と願うことはわりと自然で
いっそローラーでぷちぷちと潰してまわろうかと屋外ビジョンを眺め

ふと背後を振り返れば
其処には殺してやりたいお前がいる

「おはよう」
などと笑いながら
今日もまた
殺されていく

お前が俺を殺していく
日々刻々
カレンダーを捲りながら

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詩「生きてまた死に逝く墓標で」

蝉の声が絶えて久しい
今年も夏が過ぎ、またいくつかの台風と暴雨が忘れられていく
 
雨の日は図書館がいい、集中できるから
とは数少ない友人の言葉
まるでゲームかアニメのように
黒ぶちの丸メガネをかけたセーラー服で呟いていた
 
果たして学生とは
希望も不安も他所に
生に満ちていた
 
翻って今はどうだ
30年を過ぎ、何もせずに過ぎ行く日々
緩慢に迎える死

耐えて輝く蝉ではなく
もはや抜け殻を保存するように
数十年の先を無為に流す

それでいいのか
それがお前の望みか

問われ自問し答えなどなく
ただ季節外れの空調が響く
 
活字こそが知の源泉だと
信じた日々は遠く
いまや得るものとてない惰性こそが
この書の廃墟を形作る
 
何を視る
何を知る

諦観という名の台風の目に
惰弱な脳とて安逸を得て
ただ老い逝くだけの肉体を
恨みこそすれ省みず
 
何を遺す
何を示す

ありもしない期待を望み
ありもしない能を望み

悔いるほどの何ほどもなく
アルコールとニコチンに溺れ

ただそれを望むのか
それともそれに甘えるのか

ルソーもピカソも遠く
漱石ユートピアは満州に消え
そんなことさえも気づかずに
何を描く、何を語る
 
所詮言葉は記号でしかなく
記憶は欺瞞でしかなく
記録は残骸でしかなく
 
ただネクタイに追われ
また家事に沈み
何を騙るか
何を識るか
 
ただ息をし
ただ視を向け
ただ歩き
ただ止まり
 
夏は終わり
祭は終わった
 
流されることなく
止まることなく
 
何を視
何を変える

知の墓標たる図書館に
今日もまた訪れる者一人

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ポエケットまであと1ヶ月ですよ!!

なんというか、気がついたらもう1ヶ月なのね、な今日この頃。

ポエケットの詳細は下記こちら

というわけで、詳細は別途、とか言いながら書いてなかったので書く。

同人グループ立ち上げます。(ました?)
んで、ポエケットにてその同人詩誌の創刊号を出す予定です。
(鋭意製作中です)

同人2名+ゲスト2名、という感じで、A5版24ページ(予定)
同人グループの名前は「ちらうら」です。
ゲストは独断でお願いしました。

命名の由来は・・・です(謎)


というわけで、こっちの原稿に掛かりきり?で個人誌の方はどうしたものやら、といった感じなのですが、まぁ何かはどうにかします。
最悪、去年の増刷と参加したアンソロジー詩集の在庫になりそうですが(苦笑)


同人の方もBlogなりサイトなり作らなきゃなぁ、と思いつつ、実はあまりにシンプルかつ安直な?名前のため、サブドメインも取れない始末でどうしたものやら。

ま、サイトよりも先に本誌作らないとな、ってな感じではありますが。

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「勿忘草」

ひっそりと沼地のほとりにしっとりと
薄青色の忘れ物

Vergiss-mein-nicht!

人知れず咲く一輪に
ふっつり切れた魂一つ

Vergiss-mein-nicht!

聞こえぬ叫びと心の裂け目
隠して埋めて見ないふり

Vergiss-mein-nicht!

思えば明日は遠くなり
昨日の明日は過ぎてゆく

Vergiss-mein-nicht!

届かぬ詩歌の忘れ物
真摯な紳士の落し物

Vergiss-mein-nicht!
Vergiss-mein-nicht!

いつからなにを失って
どこにそれを落としたの?

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「はなればなれ」

カーテンの向こうに呟いた言葉
春待ちの寒さの谷間に ふっ と漏らす溜息
ベッドに横たえた身体からいつしか遠くなりて
言葉の連なりが崩れていく

珈琲の香りに紫煙が滲み混沌としたワンルーム
手入れの行き届かないフローリングに
体温が足跡を残し そっ と足音を立てぬように起き上がる
意識の繋がりが薄れていく

言葉 身体 意識
乖離してゆくトリニティ

窓向こうとの結節点を失い
発される音は届くことなく打ち消され
それでもまた今日も起き上がり
手も声もその背には触れられず

扉が遮る亀裂の深さゆえに
はなれ とおく なりて
溶解していくアイデンティティと君のそれの狭間に
よどみ しずみ ゆきて


そして

今日もまた昨日からはなれ
ボクもまたキミからはなれ
言葉は意識からはなれ
何もかも
何事もなく当たり前のようにはなれ


繋ぎ留めるために失われていく言葉にしがみつく

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携帯/ウェブ/詩誌またはmixiで詩を書くということ(長いので注意)

難しいな、というのが最初の印象であり、やりとりは面白いのだけど、残念ながら学が無いために話題の多くが共通DBに成り得ていない自分の状況をヒシヒシと感じてしまってもいる。が、基本的に根がいい加減な人間なので、そこら辺りはあまり意識せずに書いてみる。(さすがにそんなノリと知識で論戦に参加するほどの特攻精神は持ち合わせていないのは界隈の人にとって幸いであったろう)

事の発端は阿部さんのmixiの日記
(mixiに入っていない人はごめんなさい。ちょっと転載お願いするには長いので)

で、この話をそのままトレースするわけにもいかず(そんな力量は無い)、そこでもう少し別の視点から書いてみることにする。で、それをするためには、そもそも自分にとっての詩の有り様に立ち返ってみる必要がありそうだ。
多分に無自覚なところもあるのだけれど、恐らく自分にとっての詩(もしくは詩を書くということ)は、都市生活における身体性の喪失と現実感覚の希薄化に、恐らくは不可分に結びついている。
平たく言えば、この実感無き生を現実として捉えるための手段であり、それを投射し返すための手法であり、接点のようなものなのかもしれない。(もっともこれはそれほど昔から、というわけでもない)
何故そのようなものが主題として捉えられているか、といえば、単純に自分がずっと生まれてから東京住まいであり、その東京という場所が高度成長後の熟覧期に差し掛かった時代からバブルを経て、という過程が組み込まれているからなのかもしれない。(かと言って別に宮台賛歌でもない。彼も変わったが)
どうにも掴みどころがない、この都市空間における現実と、現実感の無い生と、情報過多による感覚の薄弱。それこそが、それゆえに、何がしかの接点を作らざるを得なかった、そうしなければ溶解、拡散して雲散霧消していってしまうような意識が、どこかにあったのだろう。
別に詩でなくても良かったのかもしれないし、詩でなければならなかったのかもしれない。が、詩であったことは幸いで、その適度な手軽さが継続に繋がっているのだろう。
これが小説や絵画や、あるいはもっと建築や彫刻のようなものであったなら、自分はここまで継続することはとてもできなかったろう。根気も意気地も無いのは都会的な特徴かもしれない。言い訳かもしれないが。
そのようなこともあり、最近は専ら現実社会における身体性、皮膚感覚を求めている気がする。そして、力量不足と浅薄な知識によりそれが成功していないこともまた事実なのだ。哀しい哉。

一つだけ自身の詩について気がついたことといえば、以前のものと比べ、具体的な事物を表現することが多くなってきている、という点。
以前の頭の中でグルグルと捏ね回して、抽象的であることがその心象の表現であるかのような蒙昧な言葉遊び的なところから、一歩現実へと歩み寄っているのかもしれない。しかし、これは妥協ではなく、現実へと投射するための必然でさえあるのだろう。過去のものには具体的な地名など一切書かれていないが、最近は明記しないまでも、容易に想起できる具体的な名称または事物が出てきている。
身体性の喪失と現実感覚の希薄化という点において、携帯小説は非常に示唆的なのだが、その世界には最早現実的なあらゆる物事が取り払われ、狭い没コミュニケーションの世界のみが支配するものとなっている。それは極めて欺瞞的で、そう、ディズニーランド的でさえある。
そんなファンタジーが長続きするはずもなく、あっという間にブームと呼ばれるものも終わってしまったが、それも致し方のだと思う。問題はディズニーランドで、現実でありながら非現実を徹底し、それを現実として現前と眼前に存在させている、まさにその点において極めて現代的であり、病的でさえある。そして、その病的な存在そのものが都会的人間を惹きつけている。ニヒリズムとシニシズムでさえも、その場においては消費させるべき欲望でしかない。
その、恐らくは自分の(危機)意識からはもっとも嫌悪すべきものへのアンチテーゼとして、詩が具体性を帯びてきているのだろう。そこに気づくまでにずいぶんと遠回りをしてしまったが、才能の無さ故、と諦めるしかないのかもしれない。後悔はしていないが。

ここまでだらだらと書いて、ここから上記の阿部さんの詩/日記(というよりもそれに対するレスの山)における面白いテーマに至るわけだが、それは携帯とPC(と紙片)、またはmixiで詩を書くということ。
もう飽きた、という人はここで読むのも切り上げた方が良い。まだ長いよ?
自分に限って言えば、詩を書く際に携帯の画面で見ることは一切想定していない。意識もしていない。寧ろ携帯で見てくれるな、くらいの勢いかもしれない。
未熟と言えばそれまでだが、そもそも携帯の画面で読むための呼吸を組み込むことができていないのだ。
一時期mixiの日記にそのまま詩を載せていたのを、少しずつBlogへのリンクへ切り替えているのは、携帯での閲覧を少しでも制限したかったためでもあるのだけれど、mixiの利便性が向上した結果、勝手に携帯モードへと変換してしまうようになり、どこまで意味があったのかは分からない。
それでも、携帯から見るには適していないと思う。そもそも一行が長すぎるし(しかも最近さらに長くなりつつある)、Blogサービスそのものも携帯で見るにはレイアウト等も不便なのだ。
そうは言っても携帯で様々なウェブサイトを見てはいる。詩に限ってそうしないのは、前途の意識が強く働いているからに違いない。携帯で見、書いてしまえば、一文に、行間にあるべき織り込まれた現実への射程を歪んだ形で変換し、覆い隠してしまうように感じるから。そして、それが必ずしも杞憂ではないだろう、と感じるのは、携帯小説のあまりの内容の無さ、稚拙さ、(自覚されていない)現実逃避が先例として存在しているからなのかもしれない。携帯というのはツールとしては便利なのだけれど、表現に限って言えば、極端に先鋭的になるか、そうでなければ極端に(時に必要な要素さえそぎ落として)単純化するしかない。要件を伝えるのには良いかもしれないが、ごく一部の人を除いて、この制約の中で昇華された表現を行うのは、困難を極めるだろう。(大多数の恋愛詩と呼ばれるものが、これも無自覚に自慰でしかないのは、こういったことも要因の一つなのかもしれない)

そうかと言って、それなら紙片で、とならないところがアイロニーですらあるわけだけれど、紙片は詩としては極めて制限的な場になってしまっている。どういうことか、というと、そもそも読者=作者の状況が閉塞しか生まない、という状況。まさにそれこそがいかなる詩誌を以ってしても先天的に抱え込んでしまっている末期癌的な病巣なのだ。どこに投稿しようが、自身で作ろうが、それは変わらない。
恐らく、この閉塞状況は今後も継続していくと考えると、現存する詩誌というのは仲間内の回覧と相互のバーター価値以上のものを持ち得ないのかもしれない。そして、その閉ざされた詩誌の循環こそ、まさに携帯表現の持つ狭い没コミュニケーション性と通底する病理ではないだろうか。
また、この状況は紙片の詩誌に限らず、現代詩フォーラムなどのSNSにおいても同様で、そこに詩を書く者以外の読み手がいるとは到底考えづらい。第三者(書き手と、それを読む読み手兼書き手、以外の純粋な読み手もしくは詩とは縁遠かったストレンジャーな人)がいない状況、というのは恐ろしいまでに現実への問いかけを無効化していくだろう。
(もしそういう存在がいたとしても、限りなくゼロに近いに違いない。そんな状況にも関わらず、それでも自分が紙に拘ってしまうのは、単なる趣味嗜好の問題でしかない。紙や印字の持つ雰囲気が好きなのだ。フォーラムについては、たまに退会を考えないでもない。が、書き手であると同時に読み手でもあるので、その点でやはりフォーラムの存在は<自分の詩も含めて>駄作が多くつまらない諍いもあるが、それでも貴重な場ではあろうと思っている)

PCはその二つの中間的な妥結点として、その唯一と言っても良いメリットを持ってして存在している。もちろんそのメリットとは「インターネット」であるという点で、これは非常に大きい。(フォーラムが詩作者の参加を前提として成り立っている以上、ツールとしてのインターネットではあったとしても、「開かれた」という点を欠いているので、ここでは除く)
それは、偶然の来訪者や詩とは無関係に過ごしている第三者が詩に触れる可能性を有している、ということを意味している。その際にBlogやウェブサイトだけでは、ほぼ第三者は誰も訪れないのに対して、大規模コミュニティは、その点をクリアしている。(詩のBlogやウェブサイトにたどり着く人は、多かれ少なかれ詩に対する興味があり、多くの場合書いたりもしているだろう)
そして、自分が日記の山の中に時に詩を書いているのは、その偶然性がもたらす広がりに、詩を取り巻く閉塞性を打破する可能性があるからだ。携帯閲覧を、その手間を持って弾く、という妥協点を作ってはいるものの、それは否定できない。
そして、Blogやフォーラム、または詩誌や詩のイベントでは決して交わることが無かったであろう人から感想をもらうことがある、という一点の事実だけを持ってしても、他には無い可能性があるとは言えないだろうか。
もっとも、mixi自体は次第にコミュニティとしての存在価値を喪失しつつあるので、そう遠くない将来別の場所を検討しなければならないのだろうけれども、少なくとも今はその規模とユーザーの存在から考えて、mixi以外のもので同様かそれ以上の可能性を求めるのも難しいかもしれない。
それでも、詩そのものが死滅しつつある日本(書店でさえ、詩集を手に入れるのは困難になりつつあり、現代詩手帖でさえ配荷していない書店も多い状況)において、詩が現実へと問いかけ、膾炙していくためには、ゲリラ的に第三者へアプローチしていくしかなく、それを(迷惑にならない)形として展開していくためには、こういった場での詩作というのは大きな意味を持っているはずだ。
そして、その可能性を広げるためには、詩は、私的に過ぎるものでは恐らく駄目で、少なくとも一片の普遍性を持っている必要がある。巷の小説やドラマ、映画の「感動」「共感」といったものは、上っ面の普遍性「モドキ」でしかなく(だからこそすぐに飽きられる)、詩はその内在する言葉を、より実質で本質としての普遍性を備えていなければならない。そうでなければ、第三者へ詩を開くことも、また詩が第三者へと開かれることもないのだから。文化はいつも異質な第三者の存在が無ければ豊かにはならない、ということを意識しながら。

残念なことに、自分はまだそこまで詩を書けない。能力も知識も表現もあらゆるものが足りない。

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「Light the light」

東京タワーに陽が刺さる時分に煌々と輝く
窓から漏れる明かり 色とりどりの街灯 魅惑のネオン
徹底的に破壊的に光の砲撃は闇に報復する
茜色の夕雲はつかの間の闇の扉であった
それは遠い遠い昔話
おじいさんとおばあさんがいて二人がおじいさんとおばあさんの物語を孫に聞かせていた頃の話
蒙を啓くと称して夜を切り裂き始めた頃暗黒時代が終わりを告げたのは
名前付けだけではないのだろう

南満州鉄道に急行が走り、九州に戦後初の急行気道車が走り、高度成長の夢の超特急が東海道を走り
そのいずれもが「ひかり」と呼ばれていたことも今は遠い昔話
ひかりひかりひかり いつの時代も「ひかり」は進歩の象徴
あらゆる場所を光が覆い尽くし四方八方から浴びせられるそれはいつしか影を消してしまった
鏡すら無い時代 自分自身を見つめるもっとも原初の闇=影
それすらも見出すことは難しく 目映さ故に眩暈さえ覚え ワンワンと頭蓋の奥にこだまする
ノイズが狂わせるシナプスの光は心地よい誘惑とともに闇を忘れ
   ひかりとこだまが時空を切り刻み始めた頃 この島の夜も絶えていった

車窓を過ぎ去る田園はテレビに映るそれを変わらず
照らし出された深海からは発光の抗いが消え
アポロが月に置いた反射板は地球と月の間を光で貫き結びつける
知らないことは恥ずべきことであり口を開けばググレと蔑まれ
光の速さで世界中からインフォメーションを掻き集め
その中にはアポロが月に行かなかった話もあるわけで それは現代の御伽噺
知らない分からないことを光で照らし構築された妄想の砦
  きらりと光ることもない都市伝説の成れの果て

展望台から見渡す一円の東京は点点と、しかしあらゆる光で塗り潰し勝利の狼煙を上げる
闇を捨て嬉々としてあらゆるものを照らし照らされてゆく一日の終末
全てを見透かし見通し理解し把握するための白光は 高架下の駐輪場さえも陽光を浴びる菜園と見紛うばかり
目も眩み立ち眩み一歩進むことさえも困難な都市の回廊を彷徨い立ち止まる
身体を突き抜けるヘッドライトの群れに襲われ気怠い熱気を纏い
ホワイトアウトしていく夜に立ち竦み
僅かに生気を漂わせるのは足元で円を描く下水臭いビーグル達だけ
  眠ることも休むことも許されないアイアンメイデン


Light the light.
The dark is killed.
The all of the world is covered with the light.
We obtain the right
Of the light.
Called, called, and called!
The light shouts and the light is shot.
After frenzy, the light requests the dark.

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「no lapel badge or Ellie shows」

手を広げ縦に横に半径1メートルに満たない円を描く
そうして切り取った球状の世界に籠る
眺める世界は全てが偽りでありながらディズニーランドほどには裏切らない
其処は全てが嘘だけれども 此処は絶妙なバランスと巧妙な地雷
故郷 名前 国籍 性別 IQ TOEIC
あらゆるものを階級に認識に用いながらそれが蜃気楼ほどにも確かではなく
頬を撫でる風も掌の体温を奪う電柱も感じるほどには確かではなく
ミッキーマウスの皮を被ったダンサーのように人の川に流される

知ったわけではないが きっと今際の縁に立つ気分に似ている

銀座のディスプレイの中で着替え途中のマネキンが半裸で睨み
今日も一日視姦されなければならない身を哲学に語るとき
死んだはずのマルクスが東大の図書館にぼぅっと蘇える
どうやら資本主義が溶解しているらしいから共産主義の妖怪の時間なのかもしれない
欲しい物なんて無いのだけど何かを買わないと落ち着かないからカメラを買ってみた
手で囲った世界はすぐに消えてしまうからもう一度世界を切り取るために
切り取られた白縁の其れはもう二度と見ることも無いのだけれど
自分が誰か何かを考えるよりも余程輪郭を確かめさせてくれる
写るのは何も無い空であり誰もいない廃墟であり煩わしい生が無い
哀しくも素敵な数瞬の後にも無くなってしまうだろう世界

インク切れのプリンターがカタカタと音を奏でている

家族とか恋人とか友達とか諸々のアルバムに収められた肖像
その関係はポストモダンの蜘蛛糸に絡め取られていく
真っ赤な四角い其れは私が発する言葉という言葉を飲み込んで
気の効いたヤギが途中で食べてくれるから誰にも届かない
きっと生きているということがスーパーのチラシ裏に書いたメモ書き程度にどうでもよく
フリーダ・カーロと同じ程度にいい加減でどうしようもない
腐乱していく胸の奥でFrancfrancな心の入れ物はプランプラン千切れかけている
呼吸は腐臭を漂わせプシューコフーとダースベーダーのように音を立てて哀れまれ
マッチ売りの少女もきっとマッチなんて買って貰えないまま人知れず消える

明日は燃えるゴミの日だから可燃ゴミ集めなきゃ

なんてどうでもいいはずの毎日に繰り返し訪れるクダラナイ決め事を律儀に守る自分がなんだか可笑しい
生ゴミは燃えるから自分もまとめて出そうかなんてブルーマウンテンに憂鬱を乗せている
ここでは萌えないものは要らないらしいから きっと燃える自分はゴミなんだ
私はエコじゃなくてエゴだからレゴと一緒に燃やしてもらったら煤くらいは証になるかしら
証?そんなものは欲しくもないし残す必要もないはずなのに何故かそんな言葉が浮かぶ
誰かが見ているから?見て欲しいなんて頼んでいないのに?
捨てられるのは怖いから鉋で削るように自分を削いでいったらいつの間にか何も残っていなかった
出汁も出ないつまらない抜け殻 人という制服を被った空洞
そんな制服に襟章は不要だ
空ろで何も無い身に纏った人という形には

フリーダ
彼女は何がしたかったのだろう
トロツキーと不倫をして スターリンの肖像を飾って過ごすなんて

そしてエリー
何も無いからこそ求め 何も要らないからこそ拒み
虚ろに征服されて逝く心に 人の形を保つ制服を纏って
襟は破り捨て燃やしながら
花無き春に 再び世界に扼殺され その偽り故に終わることなく沈みながら
触れる手を解き 触れる手を抱き アンビバレンスに引き裂かれ
それでも世界を切り取る
その先に何があるとしても 何も無かったとしても

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「ひとのきかん」

発せよ記せよ ことば ことば ことば
口唇のぬめりを 指先のしなりを 以って

意識の解体が世界を懐胎し 生れ落ちた ことば

語れよ残せよ ことば ことば ことば
眼球の視矢を 土踏まずを 以って

人 ひと 一 再編し再生し 育ち熟れた ことば


聳え立つ摩天楼の揺らぎに
影を添える月に似て
詩は人の器官として世界を捉え
鏡面として映す

神経の高速道を神速で飛ばし駆け巡り
温泉のゲルマニウムに身体が浸かり湯巡り
あらゆる事象を切り取り
現前へと移す

生と死の対角線上に線分を引き
聖と詩を二分する等分を探し
机上の天地創造はまた
人の期間の有り様

かつて踏み締めし足を以って
人となり展開し転回した天界の矢が
火と共に人を失わせた歴史に
詩を以って槍とし死を以って盾とす

ひとふたまるまる
ロンドン塔が正午を指し示す時
豊穣なることば を以って
人は人へと還る
詩は再び世界を拓き

人の帰還が始まる
世界を呼吸するために

詩を
気管とし
器官とし
帰還が始まる

発せよ記せよ語れよ残せよ
ことばを掲げる炎として
火との奇観に歓喜の歌を

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