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文学フリマ②

ほぼ1時間程度しかいなかったので、詩関連のブース以外はほぼ全て飛ばしている。
が、巡回しつつ全体を一瞥程度はしてきたつもりではある。
そんな程度なので、この表現が正しいかどうかはわからないのだが、恐らく小説系の作品はライトノベルの影響を強く受けている印象を持った。
評論系もそうなのかもしれない。
一言で言えば「表紙」
昨今純文学でもモデルの写真を使い、また、アニメのようなイラストを表紙に据えることが珍しくなくなった。
それは何よりも「手にとってもらえる」「ジャケ買いしてもらえる」からなのは間違いない。
同人という有象無象で何より作家名で勝負できない(ものが多いだろう)世界にとって、「手にとってもらう」ための算段は非常に重要なのではないか、というのは一考に価する。
一方で、商業書籍ではないのだから、別の在り方もできるのではないか、という疑問も残った。
発信する以上、受信する人がいなければどうしようもない、というのは極めて正しい見解であるものの、安易な方向への均一化の流れに乗っているようにも見えるからだ。
一方で詩はどうなのか、というと、逆の方向で作用しているようにも感じる。
個性的であろう、というものが多く見受けられた反面、果たしてこれは「手に取られる」ことを想定しているのか、甚だ疑問が残るものがあったことも事実。
詩が何よりもクリエイティブである、という点でアートとの境界が近い面があるとしても、だからといって手にとってもらえなければ、それは届かない。
閉鎖性が言われて久しい世界で、象牙の塔に篭もることは、正解とは言えないだろう。
自分を棚に上げて言えば、丹念に探せば良質なものは多いのだから、もう少し手に取られることを意識すべきなのかもしれない。
バナナの叩き売りではないのだが、「手にとってもらおう」「あわよくば買ってもらおう」というスタッフも少なかったように感じる。
印刷屋への持込や、私家製本であっても、手間暇かければ一般流通本と比較して遜色ない出来になる。
それがいいことか悪いことか、見た目よりも中身だ、というのもそうなのではあるが、自分も含め、反省すべきことなのかもしれない。
タコツボの引きこもりが発展性と生産性を奪っていくことは、アニメやライトノベルの流れを見れば一目瞭然で、売れたが故の粗製乱造に、数多くの作品が生まれるが故の差異の発揮のための明らかに狭いセグメントへとシフトと、カテゴリーとしての質も低下が起きている。
そのバランスは極めて難しいものの、創造と発展、豊穣な土壌を持つ世界を目指すならば、挑戦していかなければならない課題なのだとも感じる。
この視点で考えたとき、「ROKURO」「歌クテル」は、その発露の一端なのかもしれない。
好みの問題はあろうが、少なくとも、この2誌の試みについては、他の同人詩誌以上に動向に着目していきたいと思う。
話は逸れたが、そして、自身の仕事が広告屋だから、なのかもしれないが、詩だけのイベントではなく、あくまで文学・文芸全般を括るイベントである以上、ブースの吸引力と来場者への突破力を考えなければならないのだと感じる。
作って置いただけでは売れないのだから。
せっかく言葉を生み出し、まとめ、手と時間とコストをかけて制作し、抽選の難関を潜り抜けて出展しているのだから。
資本の論理に乗る必要はないし、商業主義に陥る必要もないが、かといって「手にとってもらう努力」はもっとして良いと思う。

さて、言いたい放題書いたところで、
ぼちぼち週末あたりから個々の入手本についても少しずつ触れていきたいと思う。
例によって、全てに触れることはないことだけは予告(苦笑)

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