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文学フリマ③ 森川雅美さん「山越」を読んで

果たして自分がこの著作についてどこまで語るべき言葉があるのかわからない。
一言で言えば極めて重層的で、且つ多面的な要素を持つ長篇詩、というところであろうか。
以下はアマチュアへっぽこ人間の戯言なので、スルー推奨の方向で。

まず、全体をどこまで把握し、理解し、咀嚼できているか、という点は甚だ心許ないので、その点を容赦頂きたい。
と、言い訳をまず最初に。

全体を通しての印象としては、時間と空間を行き来しながら、それでいてそれぞれの世界が決して交わることなく、パラレルに重層化して構成されている、という点が全体を難解に感じさせる要因であるように感じる。
時代と空間の象徴的なものは、末法の世である法然や道長の時代。そして、いままさに現代(というよりも現在か)。
ここに通底するのは、確信的でありながら漠然とした目の前に流れる時代と社会に対する不安であり、決定的な差は「そこにすがるものがあるのかないのか」という点かもしれない。そのすがるものが例え偽善的であれ間に合わせであれ、人はそれだけでひとときの平穏を得ることさえできる。にも関わらず、現在の時空にそれは存在しない。
森川雅美さんがどのような生き方をし、また何が影響を与えているのかは、不勉強故にほぼわからないのではあるが、少なくとも漠然とした、しかし確信的な不安を抱えていることは全体から伝わってくる。それが、様々な表現と、また清濁の混沌の中で、詩として表出してきているのだろうとも感じる。
この詩(1冊で1詩なのも驚きではある)が、難解なのは、冒頭の構成に伴う流動性と、通底にある苦悩の故なのだと思う。どちらもそう簡単に「理解した」などといえるものではない。
極めて悲観的に捉えられている世界に対して、それに絶望し、それでいながら拒絶することも適わず、望まず、だからこそ「いま」を生きなければならない、という絶望的で且つ強制的な希望の持ち方は、広く一般に誰でも受け止められる(受け入れられる)ことではないのかもしれない。
そして、それゆえにこの詩が重い意義を持ち得るのかもしれない。

自分もまだ、この詩を、恐らくほんの少しも、把握し、理解し、咀嚼できていない、のだろう。
それが出来たとき、この深遠にある、鋭利で絶望的な「いま」に耐えられるのだろうか。
それよりも、それが出来るときが、果たして来るのだろうか。
森川雅美さんが示唆するその世界は、そう遠くない、もしかしたら明日起こるかもしれないことを射程としているのだから、そう多くの時間はないはずだ。


森川雅美さんのBlog「森川雅美の詩生活・歴史生活」
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コメント

ありがとうございます。
基本には「色即是空空即是色」という考えがあります。また、禅問答の「仏は糞である」ということ。

投稿: 森川雅美 | 2008年11月14日 (金) 20時22分

いえいえ、こちらこそ拙い感想ですいません。
仏教、というより宗教系の知識は極めて浅薄なので、
思い違いなどあったらすいません。

投稿: 紫音 | 2008年11月14日 (金) 20時49分

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