カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の9件の投稿

携帯/ウェブ/詩誌またはmixiで詩を書くということ(長いので注意)

難しいな、というのが最初の印象であり、やりとりは面白いのだけど、残念ながら学が無いために話題の多くが共通DBに成り得ていない自分の状況をヒシヒシと感じてしまってもいる。が、基本的に根がいい加減な人間なので、そこら辺りはあまり意識せずに書いてみる。(さすがにそんなノリと知識で論戦に参加するほどの特攻精神は持ち合わせていないのは界隈の人にとって幸いであったろう)

事の発端は阿部さんのmixiの日記
(mixiに入っていない人はごめんなさい。ちょっと転載お願いするには長いので)

で、この話をそのままトレースするわけにもいかず(そんな力量は無い)、そこでもう少し別の視点から書いてみることにする。で、それをするためには、そもそも自分にとっての詩の有り様に立ち返ってみる必要がありそうだ。
多分に無自覚なところもあるのだけれど、恐らく自分にとっての詩(もしくは詩を書くということ)は、都市生活における身体性の喪失と現実感覚の希薄化に、恐らくは不可分に結びついている。
平たく言えば、この実感無き生を現実として捉えるための手段であり、それを投射し返すための手法であり、接点のようなものなのかもしれない。(もっともこれはそれほど昔から、というわけでもない)
何故そのようなものが主題として捉えられているか、といえば、単純に自分がずっと生まれてから東京住まいであり、その東京という場所が高度成長後の熟覧期に差し掛かった時代からバブルを経て、という過程が組み込まれているからなのかもしれない。(かと言って別に宮台賛歌でもない。彼も変わったが)
どうにも掴みどころがない、この都市空間における現実と、現実感の無い生と、情報過多による感覚の薄弱。それこそが、それゆえに、何がしかの接点を作らざるを得なかった、そうしなければ溶解、拡散して雲散霧消していってしまうような意識が、どこかにあったのだろう。
別に詩でなくても良かったのかもしれないし、詩でなければならなかったのかもしれない。が、詩であったことは幸いで、その適度な手軽さが継続に繋がっているのだろう。
これが小説や絵画や、あるいはもっと建築や彫刻のようなものであったなら、自分はここまで継続することはとてもできなかったろう。根気も意気地も無いのは都会的な特徴かもしれない。言い訳かもしれないが。
そのようなこともあり、最近は専ら現実社会における身体性、皮膚感覚を求めている気がする。そして、力量不足と浅薄な知識によりそれが成功していないこともまた事実なのだ。哀しい哉。

一つだけ自身の詩について気がついたことといえば、以前のものと比べ、具体的な事物を表現することが多くなってきている、という点。
以前の頭の中でグルグルと捏ね回して、抽象的であることがその心象の表現であるかのような蒙昧な言葉遊び的なところから、一歩現実へと歩み寄っているのかもしれない。しかし、これは妥協ではなく、現実へと投射するための必然でさえあるのだろう。過去のものには具体的な地名など一切書かれていないが、最近は明記しないまでも、容易に想起できる具体的な名称または事物が出てきている。
身体性の喪失と現実感覚の希薄化という点において、携帯小説は非常に示唆的なのだが、その世界には最早現実的なあらゆる物事が取り払われ、狭い没コミュニケーションの世界のみが支配するものとなっている。それは極めて欺瞞的で、そう、ディズニーランド的でさえある。
そんなファンタジーが長続きするはずもなく、あっという間にブームと呼ばれるものも終わってしまったが、それも致し方のだと思う。問題はディズニーランドで、現実でありながら非現実を徹底し、それを現実として現前と眼前に存在させている、まさにその点において極めて現代的であり、病的でさえある。そして、その病的な存在そのものが都会的人間を惹きつけている。ニヒリズムとシニシズムでさえも、その場においては消費させるべき欲望でしかない。
その、恐らくは自分の(危機)意識からはもっとも嫌悪すべきものへのアンチテーゼとして、詩が具体性を帯びてきているのだろう。そこに気づくまでにずいぶんと遠回りをしてしまったが、才能の無さ故、と諦めるしかないのかもしれない。後悔はしていないが。

ここまでだらだらと書いて、ここから上記の阿部さんの詩/日記(というよりもそれに対するレスの山)における面白いテーマに至るわけだが、それは携帯とPC(と紙片)、またはmixiで詩を書くということ。
もう飽きた、という人はここで読むのも切り上げた方が良い。まだ長いよ?
自分に限って言えば、詩を書く際に携帯の画面で見ることは一切想定していない。意識もしていない。寧ろ携帯で見てくれるな、くらいの勢いかもしれない。
未熟と言えばそれまでだが、そもそも携帯の画面で読むための呼吸を組み込むことができていないのだ。
一時期mixiの日記にそのまま詩を載せていたのを、少しずつBlogへのリンクへ切り替えているのは、携帯での閲覧を少しでも制限したかったためでもあるのだけれど、mixiの利便性が向上した結果、勝手に携帯モードへと変換してしまうようになり、どこまで意味があったのかは分からない。
それでも、携帯から見るには適していないと思う。そもそも一行が長すぎるし(しかも最近さらに長くなりつつある)、Blogサービスそのものも携帯で見るにはレイアウト等も不便なのだ。
そうは言っても携帯で様々なウェブサイトを見てはいる。詩に限ってそうしないのは、前途の意識が強く働いているからに違いない。携帯で見、書いてしまえば、一文に、行間にあるべき織り込まれた現実への射程を歪んだ形で変換し、覆い隠してしまうように感じるから。そして、それが必ずしも杞憂ではないだろう、と感じるのは、携帯小説のあまりの内容の無さ、稚拙さ、(自覚されていない)現実逃避が先例として存在しているからなのかもしれない。携帯というのはツールとしては便利なのだけれど、表現に限って言えば、極端に先鋭的になるか、そうでなければ極端に(時に必要な要素さえそぎ落として)単純化するしかない。要件を伝えるのには良いかもしれないが、ごく一部の人を除いて、この制約の中で昇華された表現を行うのは、困難を極めるだろう。(大多数の恋愛詩と呼ばれるものが、これも無自覚に自慰でしかないのは、こういったことも要因の一つなのかもしれない)

そうかと言って、それなら紙片で、とならないところがアイロニーですらあるわけだけれど、紙片は詩としては極めて制限的な場になってしまっている。どういうことか、というと、そもそも読者=作者の状況が閉塞しか生まない、という状況。まさにそれこそがいかなる詩誌を以ってしても先天的に抱え込んでしまっている末期癌的な病巣なのだ。どこに投稿しようが、自身で作ろうが、それは変わらない。
恐らく、この閉塞状況は今後も継続していくと考えると、現存する詩誌というのは仲間内の回覧と相互のバーター価値以上のものを持ち得ないのかもしれない。そして、その閉ざされた詩誌の循環こそ、まさに携帯表現の持つ狭い没コミュニケーション性と通底する病理ではないだろうか。
また、この状況は紙片の詩誌に限らず、現代詩フォーラムなどのSNSにおいても同様で、そこに詩を書く者以外の読み手がいるとは到底考えづらい。第三者(書き手と、それを読む読み手兼書き手、以外の純粋な読み手もしくは詩とは縁遠かったストレンジャーな人)がいない状況、というのは恐ろしいまでに現実への問いかけを無効化していくだろう。
(もしそういう存在がいたとしても、限りなくゼロに近いに違いない。そんな状況にも関わらず、それでも自分が紙に拘ってしまうのは、単なる趣味嗜好の問題でしかない。紙や印字の持つ雰囲気が好きなのだ。フォーラムについては、たまに退会を考えないでもない。が、書き手であると同時に読み手でもあるので、その点でやはりフォーラムの存在は<自分の詩も含めて>駄作が多くつまらない諍いもあるが、それでも貴重な場ではあろうと思っている)

PCはその二つの中間的な妥結点として、その唯一と言っても良いメリットを持ってして存在している。もちろんそのメリットとは「インターネット」であるという点で、これは非常に大きい。(フォーラムが詩作者の参加を前提として成り立っている以上、ツールとしてのインターネットではあったとしても、「開かれた」という点を欠いているので、ここでは除く)
それは、偶然の来訪者や詩とは無関係に過ごしている第三者が詩に触れる可能性を有している、ということを意味している。その際にBlogやウェブサイトだけでは、ほぼ第三者は誰も訪れないのに対して、大規模コミュニティは、その点をクリアしている。(詩のBlogやウェブサイトにたどり着く人は、多かれ少なかれ詩に対する興味があり、多くの場合書いたりもしているだろう)
そして、自分が日記の山の中に時に詩を書いているのは、その偶然性がもたらす広がりに、詩を取り巻く閉塞性を打破する可能性があるからだ。携帯閲覧を、その手間を持って弾く、という妥協点を作ってはいるものの、それは否定できない。
そして、Blogやフォーラム、または詩誌や詩のイベントでは決して交わることが無かったであろう人から感想をもらうことがある、という一点の事実だけを持ってしても、他には無い可能性があるとは言えないだろうか。
もっとも、mixi自体は次第にコミュニティとしての存在価値を喪失しつつあるので、そう遠くない将来別の場所を検討しなければならないのだろうけれども、少なくとも今はその規模とユーザーの存在から考えて、mixi以外のもので同様かそれ以上の可能性を求めるのも難しいかもしれない。
それでも、詩そのものが死滅しつつある日本(書店でさえ、詩集を手に入れるのは困難になりつつあり、現代詩手帖でさえ配荷していない書店も多い状況)において、詩が現実へと問いかけ、膾炙していくためには、ゲリラ的に第三者へアプローチしていくしかなく、それを(迷惑にならない)形として展開していくためには、こういった場での詩作というのは大きな意味を持っているはずだ。
そして、その可能性を広げるためには、詩は、私的に過ぎるものでは恐らく駄目で、少なくとも一片の普遍性を持っている必要がある。巷の小説やドラマ、映画の「感動」「共感」といったものは、上っ面の普遍性「モドキ」でしかなく(だからこそすぐに飽きられる)、詩はその内在する言葉を、より実質で本質としての普遍性を備えていなければならない。そうでなければ、第三者へ詩を開くことも、また詩が第三者へと開かれることもないのだから。文化はいつも異質な第三者の存在が無ければ豊かにはならない、ということを意識しながら。

残念なことに、自分はまだそこまで詩を書けない。能力も知識も表現もあらゆるものが足りない。

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文学フリマ②

ほぼ1時間程度しかいなかったので、詩関連のブース以外はほぼ全て飛ばしている。
が、巡回しつつ全体を一瞥程度はしてきたつもりではある。
そんな程度なので、この表現が正しいかどうかはわからないのだが、恐らく小説系の作品はライトノベルの影響を強く受けている印象を持った。
評論系もそうなのかもしれない。
一言で言えば「表紙」
昨今純文学でもモデルの写真を使い、また、アニメのようなイラストを表紙に据えることが珍しくなくなった。
それは何よりも「手にとってもらえる」「ジャケ買いしてもらえる」からなのは間違いない。
同人という有象無象で何より作家名で勝負できない(ものが多いだろう)世界にとって、「手にとってもらう」ための算段は非常に重要なのではないか、というのは一考に価する。
一方で、商業書籍ではないのだから、別の在り方もできるのではないか、という疑問も残った。
発信する以上、受信する人がいなければどうしようもない、というのは極めて正しい見解であるものの、安易な方向への均一化の流れに乗っているようにも見えるからだ。
一方で詩はどうなのか、というと、逆の方向で作用しているようにも感じる。
個性的であろう、というものが多く見受けられた反面、果たしてこれは「手に取られる」ことを想定しているのか、甚だ疑問が残るものがあったことも事実。
詩が何よりもクリエイティブである、という点でアートとの境界が近い面があるとしても、だからといって手にとってもらえなければ、それは届かない。
閉鎖性が言われて久しい世界で、象牙の塔に篭もることは、正解とは言えないだろう。
自分を棚に上げて言えば、丹念に探せば良質なものは多いのだから、もう少し手に取られることを意識すべきなのかもしれない。
バナナの叩き売りではないのだが、「手にとってもらおう」「あわよくば買ってもらおう」というスタッフも少なかったように感じる。
印刷屋への持込や、私家製本であっても、手間暇かければ一般流通本と比較して遜色ない出来になる。
それがいいことか悪いことか、見た目よりも中身だ、というのもそうなのではあるが、自分も含め、反省すべきことなのかもしれない。
タコツボの引きこもりが発展性と生産性を奪っていくことは、アニメやライトノベルの流れを見れば一目瞭然で、売れたが故の粗製乱造に、数多くの作品が生まれるが故の差異の発揮のための明らかに狭いセグメントへとシフトと、カテゴリーとしての質も低下が起きている。
そのバランスは極めて難しいものの、創造と発展、豊穣な土壌を持つ世界を目指すならば、挑戦していかなければならない課題なのだとも感じる。
この視点で考えたとき、「ROKURO」「歌クテル」は、その発露の一端なのかもしれない。
好みの問題はあろうが、少なくとも、この2誌の試みについては、他の同人詩誌以上に動向に着目していきたいと思う。
話は逸れたが、そして、自身の仕事が広告屋だから、なのかもしれないが、詩だけのイベントではなく、あくまで文学・文芸全般を括るイベントである以上、ブースの吸引力と来場者への突破力を考えなければならないのだと感じる。
作って置いただけでは売れないのだから。
せっかく言葉を生み出し、まとめ、手と時間とコストをかけて制作し、抽選の難関を潜り抜けて出展しているのだから。
資本の論理に乗る必要はないし、商業主義に陥る必要もないが、かといって「手にとってもらう努力」はもっとして良いと思う。

さて、言いたい放題書いたところで、
ぼちぼち週末あたりから個々の入手本についても少しずつ触れていきたいと思う。
例によって、全てに触れることはないことだけは予告(苦笑)

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文学フリマ①

買ったものリスト

  1. PaPErArK /歌クテル(?)
  2. トランジッション/佐藤yuupopicさん
  3. PARALLELE SEED/Fuck the People
  4. overturn boat whirl pool/木下奏さん
  5. Un happy kingdom/木下奏さん
  6. 「狼」15号/狼編集室
  7. 詩誌酒乱①/あんど出版
  8. hotel 第2章 no.20/hotelの会
  9. ミュウvo.133/ポエムサークルMew
  10. 山越/森川雅美さん
  11. SURVIVE ANOTHER SILLY DAY/稀月真皓さん
  12. pianississimo vol.3/流川透明さん
  13. 一行詩集「指」/流川透明さん
  14. いろはしりーず「や」行/流川透明さん
  15. 一行詩占い/流川透明さん
  16. delay no.0/NPO法人学生団体新人会広報部

イベント自体の感想などは後ほど

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「Drop of Words」読了

iPプロジェクトのアンソロジー詩集。

基本有志参加で早いもの順?

選考等がないので、その分雑多感はありますが、

次回は自分も参加予定なので、あまり多くは申しますまい(笑)



「永遠、愛、季節を否定する会」和泉しようさん

ステキ過ぎです(笑)

詩と詞、詩文とコピーライティングの違い。

ネットで適当にカテゴライズすると、

前者がポエトリーで後者がポエム?

なんというか、書きたいことを一つ書かれてしまったような。

でも表現の方向性はまるで違うなぁ、と。

表現の良し悪しというよりも、主題とそれに対する表現の方向性、

というところで、この詩集の中でも五本の指に入れたいほど(笑)



「イイ子」「消えゆく」三奈さん

いずれも自分とその周辺との立ち位置を模索しているような詩。

もしかしたら凄く若い人なのかもしれないが、それはわからないので、

どちらでもいい話だから放置。

すごく素直でまっすぐな表現なので、

好き嫌いも分かれそうな気がするが、たまにはこういうのもいいと思う。

それこそ「好き」だ「嫌い」だ、をただ垂れ流しにしているのとは違うものが、

この詩にはあるはずだから。



「ひめ春蝉」青葉茂さん

どうにもやるせない詩。

ただ、それが嫌な感じなのではなくて、

ユーモラスな表現(というと語弊もあるのだが)でまとめられているので、

思わず笑みさえもこぼれてしまうような詩。

世界の捉え方に、こういう視線の設定もあるのだ、と

とても勉強になりました。



「空の向こうの草原に」未有花さん

とても童話的な詩を書かれる方(もしかしたら今回だけかもしれないですが)

この詩がいいなぁ、と思うところは、

浮かんでくる情景。

日本ではなく、ヨーロピアンな風景。

日常に囚われすぎていると、なかなか書けないかもしれない。

儚げで、それでいてどこか温まる詩。



「夢の中のあなた」石瀬琳々さん

あ~、もう直接ご本人様に感想送ってしまったので、

改めて書くのも恥ずかしいやらなにやら(謎)

幻想の中の現実、はたまた現実の幻想なのか、

その揺らぎの感覚が絶妙だなぁ、と。

表現の一つ一つはとてもシンプルなのですが、

その組み合わせが揺らぎを生んでいるように感じる。

一つ間違うと非常に生活臭が出てしまう言葉なのに、

そこを上手くすり抜けながら、その先を捉えている、というべきか。

シンプルでありながら、深みもある一つ一つの表現が軽妙。

最近はこの手の主題の詩はあまり読まないのだけれども、

久しぶりに。

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「ネット詩集 no name 24」読了

「未詳01」と同じ未詳24の編集詩誌です。

定価がなく、物々交換で、というあたり、

詩の価値についての気概を感じます。

それはさておき本題へ。

またぞろ気に入った?ものを好き勝手に感想書いちゃいます。



「白日」室生遥子さん

言葉一つ一つは平易なのだけれども、

とても重層的な世界を感じさせる詩。

ひどく哀しげな情景に、一条の光が射す。

流れが自然でステキな詩。



「フォークロウ」立花夜半さん

リーディングによいかも、と思いました。

物語様の詩。

全体に静かなトーンで、冷厳とあり、

ぽつり、と現れる暖かさが、一層それを際立たせているような。

自分の勝手な感覚でいえば、

最後の件はもう少し違った展開でも良かったかもしれない、とも思うけれども、

それを差し引いても良い詩だと思う。



「名前がつけられない海」三角みづ紀さん

一歩間違えると非常に後味が悪い詩になってしまうはずなのに、

どうして彼女はこうも巧く表現を選ぶことができるのか。

生の営みはかくも悲しみの歓喜であるのだろうか。

求めるが故に予め喪失が決められているものを、

どこまで求め、どこまで諦観できるのだろう。



「堆積」今唯ケンタロウさん

冒頭いきなり「キタ!」(ぉぃ)と思った詩。

こういう表現は、提示されると書けそうな気がするけど、

提示されるまでは気付かないんだろうなぁ、と自省。

あと、やはりこの人も日本語を大事にされているんだなぁ、とも感じる。

文法云々ではなく、

何かを表すのに、それがどんな言葉で、どんな仮名・漢字であるべきか、だ。



***



なんだか前半掲載の詩に偏ってしまったけど、まぁよしとしよう。

後半の掲載詩にもいくつか気になるものはあったのだけど、

ちょっと「?」だったりする部分もあったので、割愛させてもらいます。

さて、最近詩誌やら詩集やらが溜まりまくっているので、

全部が全部感想なども書けないし書く気も無いわけだが、

しばらくはちょこちょここの手のエントリーが出てきます、たぶん。

なにより、感想ってやつは苦手なのですよ。

人それぞれ解釈も見方も違うだろうし、

不詳未熟で何を書いているのかと、自分で突っ込んでしまいそうで(苦笑

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ごめんなさい?

検索ワードでたどり着く人もいるけど、

今日のは極めつけ。

「同人誌 振込先」

・・・

・・・

え?

それっていったい何を・・・

役に立たなかっただろうことは想像に難くないけど、

そもそもその同人誌って何買おうとしてたの?

それだけじゃ目的にたどり着けないと思うんだけど。

・・・

う~ん・・・

あ、それと、

小説系のサイトからリンクを辿って来られた方もごめんなさい。

リンク元の事情でカテゴリーが「小説」に分けられてたりするのですが、

ここには一切ありませんので・・・

昔はちょこっとだけ書いたりもしてましたが、今は無いのです。

無駄足踏ませてすいません。

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悩むほどのことでもなし

コミケって文芸系の出展もあるのね。

初めて知った(苦笑)

行こうかなぁ、どうしようかなぁ。

しかしブース35,000って半端じゃないな。

人酔いで倒れそうだ。。。

あと文学フリマとかどうしよう。

そっちはまだまだ先だけどね、11月だし。

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「未詳01」読了

ポエケットで買ったいくつかのうち、

まずは今まで読んでいなかった人などを先に読もうかな、と手をつけたのがこれ。

個人的な感想はあまり詳細に書くつもりもないのですが、

買って正解、なものの一つでした。



まず気に入ったのは、

しもつき、七さんの「落下する日に」

まだ若い(らしい)のに、すごいなぁ、と。(現代詩フォーラム見る限り、13~14歳・・・)

選んでいるテーマは、個人的にはあまり手をつけない、というか、

選ばなくなっているテーマでもあるのだけど、

表現が、ね。良いです。

うまい、へた、とかではなく「良い」

自分には書けないなぁ、こういう表現。

というより自分が未熟なのかorz



あと、腰越広茂さんの「くしけずる むすめ」

これもすごく良かった。

細かいところの表現が、すごく考えられていて。

印刷された時の見え方なんかもしっかり考えているような気がする。

未詳01の中には、ちょっと圧迫感を受けるような詩篇もあったのだけど、

そこの辺りは、この詩はとても配慮されている気がする。

中盤の広がりが、とても好き。



藤丘香子さんの「さく、ら」も良かったなぁ。

静の中に動がさりげなく配されていて、

全体に静かなリズムを刻んでいる。

なんというか、空気感が良いんだ、きっと。

一つ一つの表現というよりも、全体で一つの流れが、

軽やかに、しかしどこか寂しさも感じさせつつ、明るく。


吉田群青さんの「街角スケッチ帳」は、

これも良かったな。

ところどころに、「うわ、やられた」という表現があって。

「やられた」というのも、うまい、とかじゃなくて、

グッと心に来る感じ。

詩を読んでて良かった、と思える、

なんとも言えないあの感じ。



望月ゆきさんの「運針の、記憶」も、良かった。

良かった、というより、好き、という感じだろうか。

仮名・漢字の選び方が、すごく絶妙で、

小さなひっかかりを持たせつつ、

でもそこで止まらせず、

先を読んでいくと、

やっぱりあの表現はそれで全体を作っているんだ、と感じる。

ちゃんと気を配っている詩、というのは、やはりそういうものなのだと思う。

その点は大いに反省させられもした。


こうやって書いちゃうと、けっこう書いちゃった気もするけど・・・ま、いっか。



そんな読み方甘いよぉ~、でも

それは違うよぉ~、でも

何かあればぜひぜひ。

まだまだひよっこなので(苦笑)

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ポエケット買ったものリスト

以下順不動

流川透明さん
「Pianissimo Vol.2」
「一行詩占い」
松岡宮さん
「駅員観察日誌2」
今唯ケンタロウさん
「失われた少女詩人」
恵さん
「永遠の過去」
出縄由貴さん/中村かほりさん/三角みづ紀さん
「少女症」
吉田群青さん
「海月の骨」
月刊未詳24
「未詳01」
「no name 24」
iP Project
「Drop if works」
がらんどう
「garando volume2」
(A.I).
「歌クテル」

まだ一冊も読めてませんorz

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ちなみにこれが今年のブース
途中レイアウト変えましたが。
左側が自分のやつですね。
詩集「The Drifting rods」
「短歌っぽい小集」
無料カード詩(全5枚)
あと真ん中が「共作詩集」(小笹綾子さんと)

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